中村靖彦コーナー
「何を食べるか、からどう食べるかへ ~平成の食を考える~」                                                                 2019年6月3日

 皆さんの朝食はごはんですか?パンなどの洋食でしょうか。今回はお米の話をしようと思います。最近とみに盛んになった美味しい米の競争についてです。

平成から令和へと変わる中で、様々な分野で平成の時代を振り返る発言がなされました。

私は、食の分野では一体どんな時代だったのか考えてみたいと思います。

 第一のポイントは次のようなことです。

 平成の前の昭和の食は、何を食べるかの名残を引きずっていた時代の食で、平成の食はどう食べるかに人々の目が向き始めた時代の食、そう私は考えます。

 昭和の初めから相次ぐ戦争から敗戦で、私たちは大変な食糧不足を体験しました。人々の最大の関心事は、とにかく何かを食べることでした。あれこれ贅沢を言ってはいられないという危機感です。

 しかし日本はだんだん豊かになってきます。急速な経済成長とともに食生活も変わり始めます。食材も料理のメニューも種類が多くなりました。そして、何を食べるかではなくどう食べるかが最大の課題になりました。

「食育」という言葉は、ごく自然に使われるようになったのも平成です。この言葉自体は明治のころからあったのですが、 何を食べるかに汲々としていた頃は実感をもって使われることはありませんでした。

 さて、次の第二のポイントです。

 私は、平成の食の特徴はファッション性だと考えます。お腹が満ち足りて来ると、今度は外食でも家庭内食でも、より付加価値をつけて食をとらえようとする空気が色濃くなってきたと思います。

“俺のイタリアン”とか“いきなりステーキ”といった名前のレストランのアピール性は一昔前ならあり得ませんでした。歩きながら、ゲームをしながらの食などは、主に若い人達に支えられて普及していきました。

 そして第三のポイントは、安心・安全志向です。先にお話ししたファッション性とはいささか相反する部分もあるかもしれません。人々は野菜の農薬残留を恐れ、食肉には、添加物のない餌を求めます。有機栽培が特に市場価値を高めました。食のいろいろな分野でオーガニック、有機という言葉が関心を集めました。

 とりわけBSEという牛の病気の発生が人々の安心・安全志向をさらにかきたてたように思います。この病気、最初はイギリス、フランスなどで大量に発生した不治の病です。牛の病気としても重大な影響をもたらしましたが、その後これが人間にも感染する事が分かって、世界に衝撃を与えました。

 日本には侵入しない、と農林水産省は言っていましたが、平成139月、第一例目が見つかり大騒ぎになりました。原因は、この病気にかかった牛の脳などの部位を食べることで起きます。捨てるには場所もない、もったいないという理由でこの危険な部位を粉にして餌として与える、いわゆる共食いによって感染は拡大しました。コスト減らしを重視した飼育方法がこの奇病を生んだわけです。

 安心・安全の意識はこれを契機にきわめて高くなって、食品安全委員会もこれを機に誕生したのです。こう考えると、まさに平成の世の大事件でした。

 51日から始まった新しい元号の下で、日本の食はどうなっていくのでしょうか。注目してみていきたいと思います。

 

 NHKラジオ第一放送「日曜コラム」より