江戸・東京伝統野菜の産地を見て学ぶ。EXPLORE OF The EDO−DENTO−YASAI◆ 現代に忘れられている食(育)の原点が見えてきた TALK And VIEW ◆ |
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城東コース
Conductor 大竹道茂 POINT ■京橋大根河岸 大正末年頃の賑わい。青物市場はダイコンの入荷が多く、この名が付いた。 ![]() ■香取神社(江戸川区亀戸) 文久年間(1861〜1864年)頃この辺りで始まった大根作りが、その後大正初期、産地の名をつけ亀戸大根と呼ばれた。早春の収穫は、野菜の少ない季節であり、江戸っ子に重宝がられた人気野菜。 ■香取神社(江戸川区中央) 8代将軍吉宗が鷹狩の時に食事する場所で、もてなしに餅の澄まし汁に青菜を彩りにあしらい差し出すと、喜んだ吉宗が名のない菜に地名に因み小松菜としたと伝える。 城北コース Conductor 大竹道茂 Conductor 中西博之 POINT ■三富新田 5代将軍綱吉の時代、川越藩主・柳沢吉保(1658〜1714)が、元禄9年(1696)に武蔵野台地中央部の入会地・原野1400町歩を開拓。上富村(現三芳町)、中富村(現所沢市)、下富村(同)の三村を総称して三富新田と呼ぶ。新田開発は六間道を武蔵野の原野に縦横に通し、道の両側に40間(約72m)、奥行き375間(約675m)の短冊状に区画、1戸あたり5町歩を配分。道路に面した所に屋敷地、その前方に畑、最奥部に雑木林を配置。入植者は241戸で周辺村々から入植。 江戸期の代表的な大規模畑作新田開拓地が残存。首都圏30キロ圏で根菜類、軟弱野菜などの農業が盛ん。落ち葉堆肥利用の循環型農業が続けられる。 ■六間道 ケヤキ並木は各家の屋敷林に続き、屋敷林はケヤキ、カシ、スギなど。 ■雑木林 雑木林は自然に生えたのではなく、落ち葉堆肥源、薪等燃料源、防風などの諸機能を持たせて植林。 ■川越芋 江戸一番の人気。「江戸市中町家のある土地にして、冬分に至れば焼芋店のあらぬ所はなし。焼芋は必ず甘味にして、香気格別なるは川越本場を用いると見えたり、されば価も高料なり」(絵本江戸風俗往来) 。川越芋のコピーは「九里四里うまい十三里」。 ■三冨新田農家早川宏さん 川越芋専業農家。畑約3?、雑木林(ヤマ)約2?。庭先に落ち葉堆肥。販売はデパートや庭先で完売。バブル期直後に相続が発生、数億円の相続税納税でヤマの一部は売却され、資材置き場に。「農業継続できる相続税を」訴える。 ■多福寺(臨済宗三富山多福禅寺) 入植農民の菩提寺。「寺社各一区を建立して、以って民心の依る所と為す」。 ■持続型社会の原型と未来図、大規模緑地施策等の政策集中の必要 三富新田の地割が残されたのは奇跡に近い。畑を「経済」、林を「環境」と置き換えてみると、ここには環境と経済の両立が試みられている。今日、地球温暖化問題が叫ばれる中で世界が模索している持続型社会の未来図そのものがある。しかし、東京隣接地、都市化のなかで巨額な相続税、開発などで雑木林の環境破壊が続く。農業継続は農家の経営努力の限界を超えている。持続型農業、大規模緑地、文化的景観の維持の新視点からの総合的な政策集中が待たれる。 |
開催日 平成21年10月27日【城東コース】
開催日 平成21年10月28日【城北コース】
「ニッポンの食育」24の証言 VOICE─探訪体験者の人びとの感想
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